非加熱(生)蜂蜜
オーガニック蜂蜜

それは巣箱から始まります...


  • 養蜂家は蜂の独得な手法で巣箱から蜜を集める時に蜂から刺されない様にします。巣箱に煙を入れると蜂は驚き慌てて巣の中に蓄えてある蜜を口いっぱいに詰め込み長い旅立ちに備えます。おなかがいっぱいになった蜂は体を曲げる事が出来ず、その為刺す事が出来なるなるのです。


  • スプーン一杯の蜂蜜(約30g)は200匹の蜂が丸一日かけて集める量なのです。その蜜を受け取り巣の中に入れる作業には同じ200匹程の蜂がたずさわる事になります。時を同じくして他の蜂達が通気を良くし集めてきた蜜の水分を飛ばします。30gの蜂蜜を一つの六角形の棚に収納するには蜂は1グラムの蜜蝋を造らないといけないのです。


  • 巣箱の蜂は近くの場所に餌を見つけると円を描く様に踊ります。揺れるように踊る時は蜜と花粉が遠くにある時のシグナルです。しかし、蜂はお互いとコミュニケーションを取るのに踊り、もしくは特別の匂いを醸し出します。


  • 蜂は約8キロ圏内であればもと来た道をたどり巣箱まで帰り着く事ができます。しかし、この様な遠距離の飛行はとても危険で効率性にも欠けます。理想的な飛行距離は半径2キロなのです。このケースでは蜂は飛行中に1,200立方メートルを調査している計算になります。この様な大きな地域を調査する場合、蜂は蜜を集める事のできる植物を見つける事ができます。1キロの蜂蜜を造るのに蜂は4,500回飛行を繰り返し、6~10億の花の蜜を集めなければならないのです。

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  • 2013~14年にかけてのシベリアでは…

    シベリアはその気候の特徴で有名です。夏は蒸し暑く雨が多く、冬はその年の厳しさにより違いが出ます。それ以外の時期は予期できなく、その年により全く違い、毎年違います。秋が到来してすぐは暖かいのです。そしてそれが急速に雨に変化します。この時期に我々の養蜂場は蜂の巣の冬支度を始めるのです。巣の壊れた部分を修理したり、古くなったフレームを新しい物に交換します。女王蜂は卵を産み終えます。もし暖かい日が一日でも来れば蜂は巣の外に飛び回り巣箱の掃除をするのです。この1ヶ月後に巣箱を確認し、必要であれば断熱材で巣箱を包みオムシャニック(冬の間の巣箱の収納場)へ移動します。またこのオムシャニックにネズミ取りなどを仕掛けネズミが巣箱に侵入しないようにします。我々のオムシャニックは恐らくシベリアでは一番大きい事でしょう。10月の終わり頃には雪が降り始めます。ロシア人は初雪を喜び、祝うのですが、この嬉しい気持ちは長続きしません。なぜならば、過酷な冬が勇み足で来るからなのです。



    一見では生活が凍るように思いますがシベリアに暮らす人々や蜂この気候に慣れっ子なのです。我々は時々オムニシャックに行き、室内温度を確認したり、巣箱の通気を確認します。弊店所有の小さい養蜂場では蜂の巣を室外で保管し、巣箱には徐々に雪が積もります。幸運な事に11月と12月は頻繁な降雪のおかげで暖冬で、雪だまりが巣箱を氷の毛布から包まれる事から防いでくれました。すべての検疫検査にパスした後、蜂蜜を容器づめし、新年を迎える前に店へ送ります。




    1月はきわめて寒くなります。降雪は暴風雪へと変化します。寒さは厳しさを増す為、人々は暖かいウール製の洋服、毛皮のコート、ヴァレンキ(ロシア名物のウール製靴下)なしでの生活は考えられないのです。1月には月に2度オムニシャックの蜂達を訪れ、室内温度が0-3度で湿度が75-85%以内である事を確認します。穏やかな蜂達はブンブンという音を立てすべてが良好である事シグナルを出します。1月も19日を過ぎる頃には寒さが厳しさを増しました。この頃にはロシア正教の教会ではキリストの洗礼を祝い、信教者は凍った川に穴を開け、キリストがヨルダン川で洗礼を受けたように飛び込みました。この古くから続く行事はその年の健康維持を約束するのです。この年の気温はマイナス38℃でした。この様な条件下では蜂の家族はより多くの新鮮な空気を必要とします。2月には更に気温が5から10℃落ち込みます。この月はほかの月に比べ曇りが続き風が強く、人々にはとても厳しい、長い冬で短い夏になってしまいました。そしてマイナス45℃の底知れぬ寒さが到来し月末まで続きました。この様な寒さの中でのマスレニツァ祭は特別なのです。お祭りの日にロシア人はパンケーキを作り、干し草で作られた人形に火をつける事で冬に別れを告げ、春を到来を喜びます。




    他の地区に比べると冬の時期は1ヶ月延長して続きます。去年の冬はとても長く5月の上旬になってやっと雪解けしました。また蜂の巣は4月にオムニシャックから出し、女王蜂は沢山卵を産み巣箱は活気づきました。世話係りの蜂は幼虫の面倒をみて、働き蜂は巣箱の掃除をし周囲の確認飛行に備えます。その時期には我々は早急な仕事にあふれ、巣箱を掃除したり、蜂の死骸を取り除いたり、餌(蜂蜜)を入れたりします。当然、蜂の死骸を検疫研究所へ検査の為に送ったりという仕事もでて来るのです。これは将来的な蜂の病気を防ぐ手助けをします。そして蜂の家族がより強く育つのです。こうしてすべての蜂の家族の餌の必要量が増えるのです。この為、すべての巣箱には最低10キロの蜂蜜と2から3フレームのアンブロージア(巣蜜の蓋)が備えられます。弱った家族は強い家族の若い蜂に助けられる為、蜜の収穫に成功を>来します。この時期には蜜蜂を狙う蛾が出現するので用心深く蛾を駆除し将来的な問題を取り除くのです。蜂の家族は急速に成長します。年を取った蜂から若い者に変わった時は蜂蜜の生産量は上がります。春一番に収穫される蜂蜜の種類は菩提樹(リンデン)の花粉です。菩提樹の花の開花期間はわずか2週間なのです。この花の開花は蜂にとってとても良い収穫時期なのです。我々巣箱を菩提樹の森へ移動します。そして、収穫時期には8トンもの素晴らしい香りが漂うリンデン蜂蜜を収穫しました。養蜂家達は夏の気温が上がる事を期待するのは蜂蜜の収穫量は夜の気温に左右されるからなのです。それは花々は夜間の気温が18℃以上の時に花粉を造り出すからなのです。もしも花々が花粉を造らなければ蜂蜜の収穫はありえないのです。狙いの花の開花時期が終わり、蜂が蜜や花粉を集め終わった後は、蜂が巣蜜に蓋をするタイミングを待ちます。




    この巣蜜の蓋が被せられている事で完熟かそうではないのかを示すのです。国(ロシア)の機関である検疫所のルールでは80%以上の巣蜜に蓋がなされて初めて完熟と言えるのです。蓋がなされた事を確認して蜂蜜を採取します。我々の養蜂のタイプには2つあり、一つは移動式の巣箱を花の開花時期に合わせて移動する方法で、もう一つは固定式の巣箱を一つの採取地のみに設置するやり方です。そして、移動式の巣箱は8月中旬までの間に400個をそれぞれの国立公園へ移動するのです。特別に政府の許可を受けてこの様な国立公園に巣箱を設置できるのは弊店の養蜂場のみなのです。この年のドンニックとジャギルはおかげさまで大豊作でした。固定巣箱では針葉樹林帯(タイガ)と牧草地帯(ルガヴォイ)の2か所に取り付けられます。蜂は開花中の花から蜜と花粉を集めます。そしてこの治癒効果の高い様々なハーブからできる蜜のハーモニーが出来上がるのです。我々はこれらの固定式の採取地からシーズン中3回蜂蜜を採取します。この年は7トンのタイガ蜂蜜と10トンのルガヴォイ蜂蜜を回収する事ができました。ほとんどの蜂蜜の採取は8月下旬には終わりシベリアの短い夏は終わりに近づきます。夜は徐々に冷たさを増し、美しい流れ星を見る機会が増えてきます。ロシアでは8月14日には“メドヴィスパス”(蜂蜜豊作祭)というお祭りがあり、人々は蜂蜜の豊作を喜び生蜂蜜を食べて祝うのです。



    9月中旬に採取される弊店の一番のコレクションでもお値段が上の物であるボルティア蜂蜜は古代の製法で木に空いた穴を巣箱として使い蜂蜜を採取する最も野性的な蜂蜜です。現代では丸太の真ん中をくり抜いた巣箱を針葉樹林帯に置き、後は蜂任せで蜂蜜を採取します。人間は蜂の接触を断絶し蜂達は自ら蜂蜜を造るのです。このシーズンでは50トン以上の自然な黄金の蜂蜜を採取しました。日本のお客様もこの素晴らしい味と香の楽しんで頂ける事でしょう。

    ロシアでの蜂蜜の歴史

    ロシアで蜂蜜はとてもユニークな品物として位置づけられロシア人の生活は常に蜂蜜と共存しています。その理由はロシア人は蜂蜜を薬として摂取し てきたからなのです。蜂蜜を使った作られた、蜂蜜パイ、プリャニキ(固いクッキー)、クヴァス(夏の飲物)、メダヴォッハ(軽いアルコール飲料)やカーシャ(朝ご飯)などの多種多様の食物で食卓を賑わせて来ました。


    (西暦1900年)

    アレクセイ・ミハイロヴィッチ・ロマノフ

    (ロマノフ朝第2代, 1629-1676)

    により創設されたイズマイロア(モスクワ近

    郊)の養蜂場


    ロシアで初めて蜂蜜について記されている歴史上の書物は西暦911年までさかのぼるロシアの王子とビザンチン皇帝の文通書物なのです。この時代にロシアはヨーロッパの中で蜂蜜と蜜蝋の一番の提供国でした。蜂蜜は貴重な糖源として料理に使われ、アルコールや飲み物の準備に使われました。また蜜蝋は部屋に明かりを灯す為に使われていたのです。10世紀頃のヨーロッパにおけるキリスト教の浸透により教会が次々と建設されました。ロシアで採取された蜜蝋はこれらの教会の儀式に役立てられたのです。ロシアはこの様な蜂蜜輸出貿易で年間に5トンの金に値する収益を上げていました。


    (西暦1907年)

    モスクワ近郊のノヴォクレクシン伯爵が運営

    していた養蜂場


    中世紀ではスラブ民族間での養蜂の発達は目を見張るものでした。17世紀の統計ではロシアでの蜜蜂家族の数はとても多く、5億家族存在したそうです。ロシアでは蜂蜜は日常的によく食べられる食物としてだけではなく、数ある病気を治癒する薬として扱われてきました。何世紀も過ぎた今現在でも蜂蜜は病気を治す薬として広く摂取されています。また科学の発達により驚くべき蜂蜜の効能が確認されています。ロシアには蜂蜜を専門に研究する研究所が数多く存在し、現在では日本と共同でこのとてもユニークな、ロイヤルゼリー、プロポリスや蜂蜜を解明する為に研究を進めています。


    (西暦1963年)

    ヴァレンティーナ・テレシコヴァ

    (世界初の女性中飛行士)


    1961年世界で初めての宇宙飛行士であるユーリイ・ガガーリンはソビエト連邦から飛び立ちました。時を同じくしてモスクワに宇宙食医療研究所がモスクワに設立されました。この時からロシアの宇宙飛行士の船内食として蜂蜜が必要不可欠な物となったのです。そして時が流れてパッケージが近代化されても中身は全く同じの天然生蜂蜜なのです。



    宇宙飛行士の食糧であるチューブ
    1. 天然生蜂蜜
    2. シチィー(ロシアのスープ)
    3. クランベリージャム